魔女の刻印

零 その一滴 01

体中が軋む。油の切れた機械人形のようだなと、軽く笑う。
左腕に負った怪我は思ったより深かったらしい。すでに血の流れる感覚すらなくなり、ただ、寒い、だけ。
手近な大木に身を預け、目を閉じることができればいい。きっと、そうしたら二度と息をすることもなくなるのだろうけれど。ただ、少女は死に限りなく近かったが、それを受け入れる覚悟はなかった。
もうすぐだ。きっと、もうすぐ森を抜ける、そうすれば、きっと誰かが助けてくれる。何も覚えていない私を、きっと、誰かが哀れんで助けてくれる。だって、御伽噺ではそうだもの。わたしはこんな所で死んでしまうわけが無い。 そんな甘い考えを、それでもその希望を少女は捨てることなく重い足を進めた。死にたくない。ただその意思だけで。
一歩足を進める度に湿気た枯葉がくちゃりと音を立てる。淀んだ空気が気持ち悪い。ガサリ。小さく音が聞こえた。遠くで獣のうなり声も聞こえる。
ガサリ。物音が近づいてくる。きっと、獣に襲われるのだと妙に冷静な頭の中から声がする。
少女はその場に座り込み、目を閉じた。


「あー、ほら、駄目だってフェルト!」
「わかってるってにーちゃん。そーっとだろ」
にぎやかな声に目を開ける。あのまま意識を失っていたようだ。真っ白なシーツと包帯。ほうらやっぱり生き延びれた。そう思うものの、体が重くて動かない。
「あ、れ。気がついた」
きい、と小さな音を立てて開いたドアから覗いたのは緑色の髪の少年。真っ白くて大きな布を抱えて笑う姿はどこか頼りなさげで。
「怪我の調子はどう? お嬢さん」
それでもどこか、安心した。
「君は……?」
質問に答えないのは悪いと思いながらも、問いかけてしまう。はっきりしない、このもやもやとした状態を早く抜け出したい。
「僕? 僕はリーシェン。ここは僕の家で、君はこの近くで行き倒れてた。だから助けたんだ」
そう言ってから彼――リーシェンは頬を赤らめ、僅かに視線をそらした。その理由はすぐにわかった。肩の辺りがどうにも涼しい。
「あ、手当てしたのは僕じゃないよ。女の子だし、服は血まみれだったし」
包帯を巻かれた胸元から目をそらしながらも必死に否定するリーシェンがおかしく、小さく笑みがこぼれた。
「別にいいよ、それぐらい」
怒っているように聞こえないように、声の調子に気を使う。それが伝わったのか、リーシェンもにっこり笑った。
「もうちょっと元気になったら、彼女にも会わせるよ。まだ顔色も悪いし」
ドアの近くに布をどさっと置き、こつん、と額を合わせる。至近距離にリーシェンの顔が近づき、顔が赤らむ。
まだあどけなさは残るが、端正な顔立ちに深い緑色の瞳。中性的ではないが、『綺麗』な顔。
「熱はないみたいだね。よかった」
安堵したように満面の笑みを浮かべる。それから、ふと気付いたようにじっと見つめられた。
「君の名前は? いつまでもお嬢さんじゃちょっとね」
はにかんだように笑いながら問われ、答えようと口を開き。
気付いた。
「私は……」
ここはどこだ。どうして私は怪我をした。どうして私はここにいる。
僅かな記憶以外、全てを忘れていることに。
「お嬢さん?」
「あ、悪い。私はルイ。なあ、ここはどこだ?」
「え?」
何を言っているんだ、とリーシェンは笑う。
「なーにーちゃん、ねーちゃん起きたの?」
幼い子供の声が聞こえて、リーシェンはまた元の笑みを浮かべた。
「ルイ、きっと疲れてるんだよね。もう少し寝たほうがいいよ」
そう言って部屋を出るリーシェンの横顔に奇妙な違和感を覚えた。
それはきっと気のせいだと思いたいけれど。


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