魔女の刻印

零 その一滴 02

「え、本当に覚えてないの?」
世話になって数日。目を丸くしたリーシェンにルイはこくり、と小さく頷いた。
「おぼろげに覚えていることもあるんだ。名前とか、知識とか」
でもそれは、本当におぼろげなものだから、すぐに記憶は上塗りされてしまうとも。その言葉に、リーシェンは納得したように頷いた。
「なるほど……だから、こんな所にいたんだね」
「こんなところ?」
「うん」
頷くと部屋のカーテンを開ける。さっと日中の太陽の光が木々の間から差し込んだ。
「ここは迷いの森。東の導師が住む、聖なる地」
窓枠に手をかけて振り返ったリーシェンの表情は、逆光でうまく見えない。目を細めると、笑ったのがかろうじてわかった。
「導師?」
「ああ、知識も断片的なんだね。導師って言うのは、まあ、魔女の下につく四人の魔導師のこと。詳しいことはそこの本に書いてあるよ」
そう言って指差した先にはぎっしりと詰め込まれた本棚。分厚い装丁の重そうな本が何冊も並んでいて、質素なこの部屋の中では僅かに違和感を感じる空間。
「そこの本、暇なら何読んでもいいから」
聞きたいことは何でも聞いて、と言うと窓から身を乗り出して子供たちの様子を伺う。その姿は見ていて何となく安心感を与えた。
ルイは椅子から立ち上がり、その本棚を眺めた。見た記憶のない文字の装丁の本が多い中、何冊か読めそうな本も混じっている。その中の一冊をルイ手に取った。
赤い、他に何の装飾もされていない装丁に金の文字。何気なくパラパラとめくっていくと、伝説について書かれている本のようだ。
その本を手に椅子に戻り、ルイはパラパラとページをめくり始めた。

眠り姫は笑う。
いずれ訪れるだろう破壊と再生を夢見て。
眠り姫は望む。
それは破滅への誘いか、再生への祈りか。
眠り姫は目覚める。
それは全ての崩壊と再生の始まり。
望むと望まぬとそれが全ての理。
古より決まっていたこと。


その一説が目に飛び込む。
「眠り姫……」
「ああ、それを読んでるの?」
後ろからひょっこりと顔を出して覗かれ、一瞬息が詰まる。振り返ると相変わらず笑みを浮かべたままのリーシェンがいた。
「眠り姫ってのは、神話の時代の魔女のこと。彼女だけは特別な魔女だから」
「特別な魔女?」
首をかしげると、リーシェンは少し困ったような笑みを浮かべてルイの頭を撫でた。知識もほとんど失われた状態では、何が特別なのかもわからない。
「うーん、子供向けの説明ならできるけど、聞く?」
リーシェンの申し出はありがたかった。ルイは頷くと、手に持っていた本を閉じた。
ルイの隣に腰掛けると、リーシェンは一度目を閉じて、それからゆっくりと目を開いた。
「この世界は、世界の中心にある世界樹の塔にいることで平和を保っているんだ。で、その塔から出られないかわりに、四人の導師を従えている。その四人と連絡を取ることで魔女は外界とつながっているんだ。魔女は不老。導師も、その任を与えられたときから、次の魔女に交代するまで死ぬことはないんだ」
「魔女の交代?」
「うん。魔女は、自分より強い力の持ち主が現れると、わかるんだ。時の契約ってやつでね。そうすると、魔女は交代」
「でも、神話の時代の魔女は特別……」
ぽつり、と口の中でそう呟く。それは確認の証のようで。
「彼女は、あまりに強すぎるから眠りについた、って言われてる。実際にはわからないんだけどね、彼女は確かに生きてるから、多分本当なんだと思う」
「え、生きてる?」
当たり前のように言われた言葉に聞き返す。神話の時代の人間が生きているなんて、そんなこと。
「そう、普通ならありえない。だから彼女は特別なんだよ」
そう、笑ったリーシェンに陰りが見えたのは、きっと気のせいだと。


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